東京高等裁判所 平成2年(ネ)3854号 判決 1991年10月30日
控訴人
同和火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役
岡崎真雄
右訴訟代理人弁護士
千葉孝榮
被控訴人
協栄産業株式会社
右代表者代表取締役
甲山一男
右訴訟代理人弁護士
園高明
同
近藤節男
同
近藤義徳
主文
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人の本件請求を棄却する。
三 控訴費用は、第一、第二審を通じ、被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一控訴人
主文同旨
二被控訴人
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
第二本件事案の概要
一争いのない事実
1 控訴人は、各種損害保険事業を営むものである。被控訴人は、昭和六一年二月一六日、控訴人との間で、次のような海外旅行傷害保険契約(以下、「本件保険契約」という。)を締結し、同日保険料金一万〇四六〇円を控訴人に支払った。
被保険者 訴外米靖(以下「米」という。)
死亡保険金受取人 被控訴人
保険期間 昭和六一年二月二一日から同年二月二五日まで
保険金 金七五〇〇万円
旅行目的 商用
主要旅行先 アジア
保険金の支払時期 請求日から三〇日以内
2 米は、昭和六一年二月二一日、フィリピン国マニラ市に向けて旅立ち(以下、「本件旅行」という。)、同月二二日ころマニラ市郊外において殺害された(以下、「本件保険事故」という。)。
3 被控訴人は、昭和六二年五月二〇日、控訴人に対し、本件保険契約に基づく死亡保険金七五〇〇万円の支払を請求した。
4 控訴人は、平成元年一一月一日(原審の第二回口頭弁論期日)、被控訴人に対し、告知義務違反を理由として本件保険契約を解除する旨の意思表示をした。
5 控訴人は、平成二年三月二五日(当審の第二回口頭弁論期日)、被控訴人に対し、重大事由による特別解約権に基づく解約並びに債務不履行を原因とする解除の各意思表示をした。
二争点
1 被保険者である米及び保険契約者である被控訴人は、本件保険契約締結当時、本件保険事故が発生すること若しくは発生する虞れがあることを知っていたか。
(控訴人の主張)
米は、訴外Yこと乙川二男(以下、「乙川」という。)から同人の指示どおり台湾へ行くと同人に対する多額の債務を免除すると約束されたことから、乙川の指示で昭和六一年一月三日に台湾へ行ったときから旅行先で殺害されることを恐れて警戒していたし、二度目の台湾行きは殺害されることを恐れて途中で中止した。米は、マニラ市への本件旅行も乙川の指示によって行ったものであり、マニラ市に行くならば殺害されることを知っていたか、あるいは殺害される虞れがあることを知っていたものである。米は、被控訴人の代表者甲山一男に対し、従前の台湾旅行の経過や本件旅行をするいきさつ並びに殺害される恐怖についてを本件旅行前に話していた。
(被控訴人の主張)
米が殺害されることを予測して本件旅行をすることはあり得ない。被控訴人は本件事故が発生する虞れのあることを知らなかった。
2 米に本件保険事故を自ら招致した損害防止義務違反があり(商法六六〇条)、本件保険事故による損害は、米の悪意若しくは重大なる過失により生じたものか(商法六四一条による免責の有無)。
(控訴人の主張)
米は殺害される危険を知ったうえでマニラ市に行ったものであり、本件旅行を取りやめるなどして殺害されることを防止しえたのに、防止義務を怠り、本件損害を自ら招いた。
(被控訴人の主張)
米は、殺害されることについて漠たる不安をもっていただけである。
3 被控訴人に重要な事実の告知義務違反があり、控訴人による本件保険契約の解除が有効か(商法六四四条に基づき保険金支払債務が消滅したか否か)。
(控訴人の主張)
(一) 米が二回にわたる台湾行きに際して乙川らにより殺害されることを恐れていた経緯があり、被控訴人は、その経緯を知っていたのに、本件保険契約締結に際し、右の事実経緯を一切控訴人に対して告知しなかった。控訴人が右のような事実経緯を知っていたならば、本件保険契約を締結するようなことをしなかったはずである。
(二) 控訴人は、被控訴人から本件訴訟の保険金請求を受けるに至って、警察等関係者から事実関係を確認して、初めて被控訴人の告知義務違反の事実を確信したものであり、右事由による解除の意思表示をした日が、その原因を知った時に当たるから、本件保険契約に適用される海外旅行傷害保険取扱規定一〇条②(4)による解除権消滅期間は経過していない。
(被控訴人の主張)
(一) 被控訴人は、本件旅行当時の混乱したマニラ市の政治情勢による万一の危険を考慮して本件保険を掛けたものであり、米の依頼で、保険金の受取人に被控訴人がなり、保険料も立て替え払いの趣旨で支払ったものである。したがって、被控訴人に告知義務違反はない。
(二) 控訴人は、本件保険事故についての調査員井上忠夫作成の事故調査報告書が作成された昭和六一年九月一日ころには、告知義務違反と主張する前提事実を知っていた。本件保険契約に適用される海外旅行傷害保険取扱規定一〇条②(4)は控訴人が告知を受けるべき事実を知った日から保険契約を解除しないで三〇日経過した場合は、解除できないことを規定している。告知義務違反による本件解除は許されない。
4 米の責めに帰すべき事由により危険の著しい増加があったか否か(商法六五六条により本件保険契約が失効したか否か)。
(控訴人の主張)
米がマニラ市への本件旅行に出掛けたのは、乙川から逃れられない絶体絶命の状態に置かれ、死を覚悟して、自ら事故発生の可能性の極めて高い状況に身を置いたものである。したがって、米の行為は、被保険者の責めに帰すべき事由により著しく危険を増加させたことに当たる。
(被控訴人の主張)
米は、殺害されることについて漠たる不安はもっていたが、本当に殺害されるとは思っておらず殺害されることを容認していた訳ではないから、自ら危険の著しい増加を招いたものではない。
5 米の行為が保険契約上要求される信義則に違反し、保険契約関係の継続を著しく困難にする信頼関係破壊行為といえるか。
(控訴人の主張)
米は、乙川の指示による台湾行きの旅行のときから身の危険を感じ、殺害されることを予測していたうえ、本件旅行については、乙川に対する多額の負債の清算、被控訴人に対する借金の返済のため、死を決意してマニラ市に行き殺害されたものである。したがって、米の一連の行動は、保険の特性である保険事故の偶然性の要請に反し、保険契約上の信義則に違反し、契約継続を著しく困難ならしめるものであり、控訴人は、本件保険契約を解約若しくは解除できる。
(被控訴人の主張)
米は、保険金の取得を目的として本件旅行をしたものではないし、本件保険契約上の信義則に違反していない。
第三争点に対する判断
一争点1について
<書証番号略>、証人米静枝、証人永倉理子、証人井上忠夫、証人村田省二、証人乙川二男の各証言及び被控訴人代表者尋問の結果(証人乙川二男の証言及び被控訴人代表者の供述中、後記の措信できない部分は除く。)並びに弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。
1 被控訴人の代表者である甲山一男は、昭和五八年八月から昭和六〇年二月まで栃木県下都賀郡大平町にある関東化研株式会社の取締役をしていたものであるところ、同会社に出入りしていた米と知り合うようになり、また、昭和五九年九月同会社内に米が代表取締役となった株式会社関東樹興(以下、「関東樹興」という。)の本店事務所が設置されたことから、その取締役で実質的経営者であった乙川二男とも知り合うようになった。関東樹興はプラスチックの再生加工業などを目的とする会社であるが、実際には金融業を営み、警察関係者からは、いわゆる手形のパクリ屋と見られていた会社であった。乙川は、元暴力団員であり、昭和六〇年九月から昭和六二年二月までの間だけでも一二回フィリピンに渡航し、マニラ市内にはアパートを借りて、いわゆるジャパユキさんといわれる者の斡旋業務をしていたものであり、平成三年一月にはフィリピンから自動小銃等の密輸入をしたとして逮捕されている者である。米は、被控訴人の業務には関与していない者であるが、被控訴人、乙川やその他の債権者に対して多額の負担を抱えており、債権者から追われる状態であったので、昭和六〇年三月には妻である米静枝と一年後に復縁する約束のもとに離婚した形をとって、逃避するような生活をしていたものであり、特に、乙川からは厳しく債務の返済を迫られており、同人の言いなりに動かなければならない状況に追い込まれていた。
2 米は、昭和六〇年一一月末ころ、乙川から、仕事上受け取るべき現金があるので台湾へ金員受領のために行くように指示され、金員を受領してくれば乙川に対する負債を免除すると約束されたが、乙川が何かと口実をつけて米の顔写真を撮り、赤色のシャツを着て行くよう指示されただけでなく、米を被保険者とする災害死亡保険金一億円の生命保険契約を関東樹興名義で昭和六〇年一〇月一日ころ住友生命保険相互会社と契約していたことなどから、乙川が保険金の取得を企て何者かに自分を殺害させるのではないかと恐れ、昭和六一年一月三日の台湾への渡航に際して、長女の由紀子のために海外旅行傷害保険を掛け、米静枝宛に右の経過を記載し、乙川の差し向けた殺し屋に殺害されることを予想する内容の遺書のような手紙を投函した上、電話で予定どおり帰って来なかったら読むように言い残して渡航した。そして、米は、台湾へ渡航後、殺害されることを極度に恐れて、宿泊先のホテルから一度も外出することなく、乙川から指示された金員も受領しないままに同月七日帰国した。
米は、昭和六一年一月二七日ころに、乙川からまた台湾に渡航するよう指示され、成田空港へ向かったものの、結局殺害されることを恐れて渡航を中止して帰宅した。
米は、同月二九日ころ甲山と電話で、右の乙川の指示による台湾渡航のことや殺害の恐れなどについて話したが、甲山から、「なぜ二度目に行かなかったか、行かなかったために三度目はどうしても行くようになるからな」などと言われた。なお、甲山自身も、乙川が関東樹興名義で米を被保険者とする前記の生命保険契約を締結していることを知っていた。
3 米は、昭和六一年二月中旬ころ、乙川からマニラ市に渡航するよう指示され、航空運賃を支給されたが、従前同様の不安を抱いていたところ、甲山からマニラ市のホテルを紹介され、心配だったら護衛を付けると言われ、餞別の金七万円も交付されて渡航を慫慂された。米は、せっぱ詰まったような心理状態でマニラ市への渡航を決意し、渡航前に、当時同棲していた永倉理子から遠くへ逃げた方が良いのでないかと勧められても、「今度は渡航しないといつまでも乙川との縁が切れない。」などと話して、渡航の決意を翻すに至らなかった。
4 甲山は、本件保険契約締結の際に、控訴人の契約担当者に対して、健康食品の販売等の目的で米を出張に出す旨の虚偽の説明をした。米は、甲山が本件保険契約を締結した際、甲山に、「米靖氏が渡航中、不慮の事故が発生した場合会社で入保した保険につき保険が会社側に入金された時点で保険金の一部を永倉理子氏に渡すことを約束致します」と記載した書面(<書証番号略>)を作成させた。
5 乙川は、米の本件旅行前の昭和六一年二月一〇日マニラ市へ渡航し同月二一日に帰国しているが、米の渡航前日の同月二〇日、米に対し、マニラ空港へ迎えに行けない時には乙川の仕事仲間が空港に迎えに行くから赤色のシャツを着て来いという連絡をしてきた。
6 米は、マニラ空港に着いたまま何者かに連行され、至近距離から拳銃で眉間、胸などに四発撃たれて殺害され、昭和六一年二月二二日マニラ市郊外の高速道路脇でTシャツとパンツのみ着用し、両手を後ろ手に縛られた状態で遺棄されていたが、現地では、いわゆるプロの殺し屋の手に掛かったものと推測されている。
7 乙川は、前記の米を被保険者として住友生命保険相互会社と契約した保険金の請求を現在に至るまでしていない。
8 なお、乙川は、昭和六一年四月前後に、フィリピンに渡航し、米の殺害事故を想定して、その死亡を確認するかのような捜索行動をしていた。また、甲山は、同年三月三〇日、米の死亡を予知していたかのごとくに、足利市内の米のアパートの居室からゴルフ道具や事務器などを貰ったと称して持ち出すなどして、米静枝や永倉理子の立会もなく米の動産類を勝手に処分したことがあった。
被控訴人代表者尋問の結果及び証人乙川二男の証言中、右認定に反する部分は、右両方の供述同士でも本件旅行の目的など重要な点で食い違いがあり、前記各証拠に照らして、措信できない。
右の認定事実によれば、米の殺害は、偶発的な事故というよりも、保険金目的の殺人との疑いが濃厚であり、米と乙川との関係、米が本件旅行をするに至る経緯及び本件旅行開始前の客観的事実関係を併せると、本件旅行の開始前において、本件保険事故が発生する高度の蓋然性があったものというべきである。そして、本件全証拠によるも、米がマニラ市に渡航しなければならない目的が未だ釈然とせず、たとえ、乙川との縁を切ることを欲していたとしても、米自身は、本件旅行に際して、乙川もしくはその意を受けた者に保険金目的で殺害されることをかなり恐れていたもので、そのために本件保険金の配分について通常はしないような事前の処置をとったものと認められる。
したがって、本件保険契約の被保険者である米は、本件保険事故が発生する高度の蓋然性があることを知っていたものというべきである。また、甲山もこれを知っていたと認められるのであって、米や本件旅行が被控訴人の業務等と全く関係が無く、被控訴人にとって特段の必要な事情も認めがたいのに、敢えて虚偽の説明をして本件保険契約を締結したことを考えると、被控訴人は、保険金目当てに米を被保険者とする本件保険契約を締結したのではないかとの疑いを払拭することができない。
二争点2について
前記一の認定事実に徴すると、米は保険金目的で殺害される高度の危険のあることを承知のうえでマニラ市に行ったものといわざるを得ず、米としては、乙川から指示された二度目の台湾への渡航を中止したのと同様に本件旅行を取り止めさえすれば、殺害されることを防止できたものというべきである。しかるに、米が本件旅行を敢えて実行したのは、たとえ、乙川と縁を切ることに望みを掛けていたことがその動機となっていたとしても、本件保険事故による損害を自ら招致したに等しく、少なくとも、米の重大なる過失により本件保険事故を生じさせたものというべきである。
そうすると、控訴人は、商法六四一条により免責され、本件保険金を支払う義務がないというべきである。
第四結論
以上によれば、その余の争点について判断するまでもなく、被控訴人の本件請求は、理由がなく認容できない。
よって、右と結論を異にする原判決は失当であり、本件控訴は理由があるから、民事訴訟法三八六条、九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官鬼頭季郎 裁判官渡邉等 裁判官富田善範)